サークルの飲み会(昨日の分)
17日はサークルの飲み会でした。
40人ほどいるサークルですが、今回集まった人数は6人。
かなり緩いサークルですから驚くものではないですけどね。
就職や卒業が決まった人、片や留年が決まった人、いろんな人がいることが、このサークルのよいところです。自分は幸運にも前者です。
飲み会では赤ワインを5杯くらい飲みました。しかもジョッキで提供されたため、かなりの量を飲んだことになりそうです。そのせいで、今回感じた酔いはこれまでで一番強いものでした。
飲み会は盛り上がり、楽しいものでした。
話は変わりまして、今日から7日間、ジャパンタイムズが届きます。英語の勉強をしようと試読を頼んだもので、さっそく今日から始めました。気になった記事を切り抜いてノートの左ページに貼り、右ページにわからない単語などを調べて書き残すという形でやっていきます。これは、題名は忘れたけども、有名な英語の勉強の仕方の本に書かれていたやり方です。ただ、その本は80年代か90年代のものでしたのでこのようなアナログなものとなっています。現代であればもっと違うやり方があるでしょうが、とりあえずこの形で行います。形が何であれ、肝要なことは継続です。
言語に関しては、社会人になるまでに日本語と英語の上達と、さらに現地の新聞を読めるくらいのをドイツ語の習得を目標にしたいです。
昨日の分を・・・
昨日はブログを書き忘れました。
深夜バイトの始まる直前まで寝ていたからですが、
こうなると、どうしても昨日に思ったことなどを上手く思い出せませんね。
そんな中でも、最近なんとなく活力がない原因が『君の名は。』を見たことなのではないかということを考えていたことは覚えています。
『君の名は。』を見て思ったことが3つありました。まず、『君の名は。』のような綺麗な世界や人生と現実とのギャップ。2つ目に、自分の高校生活から今ですでに6年が経過しているという現実を再認識し、恋愛という意味での青春を自分が経験せずに終わってしまったという喪失感。最後に、自分は、『君の名は。』に憧れはすれども、三葉や瀧になりたいわけでもなく、世界観に憧れてるにすぎないということ。
三葉や瀧に比べたときの自分のこれまでの人生に彩りの無いなと、映画を見終わって現実に戻ったときに強く感じました。そして特にその中で、おそらく人生を彩る大きな要因であろう中高時代の青春恋愛の可能性が、既に自分の手元にないことにひどく注目してしまいます。まだまだ自分は若くて、高校生よりだと思っていましたが、もう24歳なんだな。自分の人生に対する甘さもここから生じるのだろうか・・・。
3つ目についてですが、『君の名は。』の世界に行きたい!と思いはするのですが、では「一体誰になりたいのか」と言われれば、何も答えられないんですよね。『めぞん一刻』や『ちはやふる』を読んだときも同じことを思いました。たぶん、自分はその物語のドラマチックさに憧れているだけで、その中で奮闘する人間にはなりたくないのです。つまり、苦労をしたくない。そんな甘ったれな自分に気付いたことも、最近の意気消沈の原因かなと思います。
青春恋愛とパワフルさ、それが自分に無いことに気付いて、どうしたらいいのかわからないここ数日です。
身の回りの物を少し買い替えて
今日は気温が比較的低かったのですが、日中は曇っていて湿度が高めだったためか、過ごしやすさはあまり感じませんでした。だからなのか、頭が働かず、本を読む気にもなれず。そこで、前々から考えていた、生活環境の刷新に手を付けました。
まずはフライパンの買い替え。
フライパンはかなり前からテフロン加工がはがれてしまっていて、炒め物をするたびに焦げが付き、根気よく落とさなければなりませんでした。毎度、フラストレーションがたまったものです。
しかし就職活動で料理をする時間が無くなったために、たまには使えども、買い替えるほどの必要性も感じず、そのままでした。
しかし、最近は常に家にいる生活で料理もしますので、日々のストレス軽減として新しいフライパンを買うことにしました。1000円ちょいでした。
新しいフライパンを使った感想としては、なんとストレスフリーなのだろうかというものです。今まで自分は余計なストレスを抱えていたんだと。
また、新聞の購読先も変えようかと、ジャパンタイムスの7日間の試読申し込みをしました。今は朝日新聞を取っているのですが、なんとなく日々の情報源を変えてみようかと思ったこと、また、英語の勉強をするためにペースメーカーになるものが欲しかったことが理由です。
ジャパンタイムスはおそらく難なく読めると思うのですが、一緒に就いてくるニューヨーク・タイムズについては自信がありません。1か月奮闘すれば苦労は感じなくなるでしょうか・・・。何事も継続が大事です。
最近は起伏の無い日々を送っているので、これら程度の変化があるだけで、気持ちが少しウキウキします。
『君の名は。』を見て(ネタバレあり注意)
初めまして
誰に向けて書いているわけでもないですが、
これから、日常で起こったことや思ったことなどを、
日記代わりにここに書いて行きます。
ところで、今さっき『君の名は。』を観終えてきました。
涙がボロボロ出るような映画ではありませんでしたが、
ラストに近づくにつれて、心がに落ち着きがなくなり、深いところからじんじんと温かくなるような気持ちになりました。
2人とも出来事も相手の名前も忘れてしまうけど、しかしその特別な誰かを想っていたときの自分の状態からは脱し切れていない。何を忘れたのか、何が気になっているかはわからないけれど、何かを求めていることだけが確かにわかる状態。
この気持ちは各々にとって「恋」だと認識されていたのでしょうか。そうではなくて、もっと漠然とした「求め」みたいな気持ちとしか理解されなかったのでしょうか。気になるところです。今回の鑑賞ではそれは分かりませんでした。
この物語では主人公どうしが入れ替わるのですが、他人と入れ替わることにはとても魅かれるものがあります。他人の人生を経験できるのですから。特に今回の映画のように、自分の人生と大きく異なる人の人生ならばなおさら。
伝記ものを読んだときや、小説を読み終わったりや映画を観終わったりしたときには、自分の人生からは一時的に離れていたような感覚に陥ります。伝記ならば、その人の生まれてから死ぬまで、波乱に満ちたダイナミックな人生を生きる人間に、また、小説や映画ならば、1つの人生の中のいちドラマを駆け抜ける人間になることができます。
自分は平凡な人生の人間ですから、そういうダイナミックを持っていたりやキラキラしたりする人生に憧れます。
そういえば、2人は入れ替わりましたけど、田舎暮らしに嫌気がさした三葉の「東京のイケメン男子」化願望はあれども、瀧が田舎の女の子になりたいと考えていた描写はありませんでしたよね(ありましたっけ?)。ということは、この物語は三葉を起点として生じた物語なのでしょうか。予告を見て勝手に両者双方向の意思があったものと思い込んでいました。
初投稿はなんともまとまりのない文章ですが、三日坊主にならないように続けていきます。