ビタミン摂取ブログ

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ノーボーダー

欅坂46の衣装の件で疑問を持った。

日本にはナチスについて十分教育されることも知る機会もないのに、ナチスが現代の世界でどのように扱われているかということを知っていて当然かの如く、欅坂のメンバーにコメントしていることだ。

ツイッターではドイツ人やドイツに住んでいる日本人が、とても恥ずかしいことだと言っていた。

しかし、どうも日本の社会の内実を無視した物言いだと思われる。

 

別にナチスのものに非常によく似た衣装を着ることが問題ないと言っているのではない。それは問題だと”当然”思っている。

自分がそれを当然だと思えるのは、歴史や政治に比較的関心があるからだ。上述のように、日本社会には全ての人にナチスを十分知らせる機会がないことを踏まえれば、この”当然”は非常に個人的なきっかけに基づいているのだと思う。個人的にグローバル・スタンダードを知ったに過ぎない。

 

つまり、日本社会で育った人がナチスについて、グローバルスタンダードほど知らなくても大して不思議ではなく、その”当然”を身に着けることは個人に任せられている。だから、知らないことはおかしなことではなく、大して恥ずかしいことではない。それを考慮すれば、若いあのメンバー個々人にあれほど厳しい責めを負わせようとすることがどれほど適切だろうか。

 

重大な問題点は、あのメンバーや衣装製作者その他関係者がそれぞれナチスを知らなかったことではなく、社会としてそれを人々に当然と思わせないような教育・関心の在り方だろう。

 

そして今回の騒動の2つ目の問題点は、そのような社会レベルでの違いを無視して、ナチスを知っていて当然というスタンダードを押し付けてくる人たちである。西欧に言われたから反射的にそのスタンダードを受け入れてはいないか。自分は知っていたからそれが当然なんだと考えてはいないか。自分の社会では当然だから日本でも当然だと決めつけていないか。異文化ということがもっと意識されるべきだろう。